ウクライナ情勢ってどうなの? 整骨院では、政治の話は、だめよーだめだめ!

ウクライナがロシアに侵略されて1週間ほど経過しました。プーチン大統領はやはり怖い男でした。この戦争は尖閣諸島において中国から侵略を受けている日本や台湾の戦況にも影響します。

戦争ですから、どちらにも言い分があってそれを聞いてみると、なるほどと納得してしまいます。自分が外交の担当だったらすぐに相手の意見に流されてしまいそうです。そんな、ロシアの言い分について、「テレ東BIZ」の豊島さんが分かりやすく解説してくれています。

そして、国際的な批判を浴びるロシアへの世界の考え方については、高橋洋一さんが解説しておられます。数学者らしく合理的な判断をされるのでとても参考になります。

この中で青山学院大学名誉教授の袴田茂樹さんのお話が出てくるのですが、プーチンの言う「NATOは東欧に手を広げない約束をした」というのは、間違っているといっています。

今回ロシアのプーチンは、ロシアへの編入を求めるウクライナ東部の分離独立派が実効支配する「ドネツク人民共和国」および「ルガンスク人民共和国」を国家として承認する大統領令に署名し、この地域のロシア人を守るという建前で侵攻を開始しました。

まとめとしての動画はこれが分かりやすくて参考になります

日本では、中国との間に尖閣をはじめ沖縄問題が存在しています。この島に少しずつ中国が影響を深め、ある時突然、沖縄に住む琉球王国民族は中国国民であり、この人たちを守るために中国は沖縄に軍隊を派遣するといわれたときにどんな準備ができているでしょうか。ロシアは、アイヌ民族はロシアの民であるといっています。北海道に自衛隊最強の陸軍戦車隊がある理由も見えてきます。自衛隊の戦車は、戦時中でも道路を走る際には、道路交通法に従う必要があるそうです。

私たちは日本の終戦は、8月15日と教えられてきました。この日以降、ソ連は満州などで日本軍の武装解除と投降をさせて、たくさんの市民を殺し、犯し、身ぐるみ剥ぎました。そして、日本軍の兵隊をシベリアに送り使役しました。ロシア軍は8月17日に、千島列島の最北端である占冠島に上陸し、その島を守っていた陸軍に武装解除をさせようとしました。

しかし、樋口季一郎中将司令官の部隊は、武装解除せず、ここを死守したそうで、これがなければ北海道はソ連になっていたといわれています。そうなっていれば日本はドイツのように東西で分かれていたかもしれません。

連合国から見れば1945年8月15日は停戦であって、サンフランシスコ講和条約が結ばれた1951年9月8日が終戦のようです。そして、日本の戦争は終わらず、1952年1月18日には、李承晩ラインとして主張する海洋境界線をもとに、韓国が竹島を占領しました。沖縄が日本に返還されたのは奇跡で、中国が今のような国力を持っていたなら中国に返還されたかもしれません。

これを見ていると、ウクライナ人による抵抗は本当に凄いことだと感じます。周到な準備を整えておられたのでしょう。美しかった首都キエフの建物が破壊された惨状を見れば心が痛みますが、一刻も早い停戦とウクライナ人による主権回復を願います。

寿晃整骨院 総院長 木下広志