50才の時に一念発起し,岡山大学経済学部に入学し,今年の誕生日が来れば54才
やっと大学学部生の4年間が終わりました.
今週,最後の英語授業が終わり,昨日,卒論発表会で一般の経済学部4年生に混じって,30分間の発表をさせてもらいました.卒論テーマは,入学前から決めていた柔道整復師の研究です.柔道整復師の現状把握と今後社会で役立つために必要なことはコンプライアンスと勉強をし続けることだと発表しました.指導教授は,「木下さんの発表は面白みがないね.このはさみは紙を切る道具です.この研究の結果,やはりはさみは切る道具であることがわかりました.という発表だ」とのことでした.
この教授はいつも塩対応ですが,人情味があって私のお気に入りの先生です.今回の講評もその通りだと思って拝聴しました.別の学生は発表の後,「あなた,その研究をして楽しかったの?」と質問されていました.その学生は,「正直なところ,あんまりおもしろくなかったです」と答えて,そこで教授は大笑いしていました.その学生も最高の笑顔だったので,普段から良い人間関係を作れていることがわかります.
岡山大学経済学部には夜間主といって岡山大学の経済学部と法学部には午後6時~9時までの遅い時間帯の学部があります.
岡山大学経済学部夜間主コースには40人の定員中,センター試験を受けなくてもよい5人の社会人枠が用意されていています.論文と面接による入学審査によって私は合格することができました.ほとんどの学生は18才でセンター試験を受験し,2次試験を受けて入学します.私がそのように優秀な仲間とともに入学できたことを光栄に思います.
https://www.okayama-u.ac.jp/user/st/nyushika/pdf/goukaku-zyokyo/2021shakaijin.pdf
講義の内容は,昼の学生とほとんど変わりませんが,講師の先生は夜間主だから…と少し優しく見てくれているように思いました.夜間主の学生は昼の授業も受けることができます.私は積極的に一般の授業,特に教養科目(リベラルアーツ)を受けました.アドラー心理学や医学系の講義,バカロレアと呼ばれるフランスの大学入学資格についての講義も受けました.
それぞれが私にとって大きな刺激となり,大きな世界に気付かせてくれました.その大きな世界に対して自分の存在を小さく感じました.人間的に謙虚になれた気がします.世界に向いて心が開くのでアメリカへ語学留学するということを思い立ちました.岡山大学には,EPOKと呼ばれる交換留学プログラムがあります.私は大人になるまで英語の勉強などしたことがなかったのですが,アメリカへ行くと決め英語の勉強を始めました.
何もせず入学時に受けたTOEICが365点,そこから1年ごとに100点ずつ上がっていきました.3年生の時に565点だったのですが,岡山大学の交換留学プログラムを使うにはTOEFL-iBT のスコアが 60 以上または IELTS のスコア 5.5(Overall)以上が必要です.TOEICスコアでは判定されませんがTOEIC 換算で200点ほど不足している感じでした.
岡山大学の交換留学プログラムを使うには英語能力が不足しているので,留学を断念しようとしていたら,担当の先生が「木下さん,海外留学に行けますよ」と言ってくれました.この言葉の前には,「お金を払えば…」という言葉がついていました.
担当の先生は以前から知っていたのですが,この先生は私に英語の勉強を少しでも頑張ってもらおうと考えていたらしく,ぎりぎりになって教えてくれました.すぐに手続きをして,アメリカ合衆国テキサス州にあるDallas Baptist UniversityのIEP(Intensive English Program)といわれる大学に入学するための英語学習プログラムに入学しました.
IEPは,Dallas Baptist Universityというキリスト教系の大学に付属する英語の専門学校です.大学の単位は取れませんが,私がやりたかった海外留学と海外の文化を経験するという目的を達成することができました.コロナが流行する前だったので,その期間にロサンゼルス,ラスベガス,グランドキャニオン,ワシントンD.C.,ニューヨークへ一人旅をしてきました.
そして,知り合ったアメリカ人講師,ブラジル人や中国やアルゼンチンの友人とともに,テキサスの国立公園に真冬のキャンプに行って星空を見たり,ドイツ人移民が作った小さな町や牧場, NASAの施設があるヒューストンにもAirbnbで泊まる部屋を予約して行ったりしました.
アメリカにコロナが流行し始める少し前の2020年2月に予定を3カ月ほど早めて帰国しました.私の母が体調を崩し入院したのです.すでにかなり悪い状態でした.帰国してすぐ病院に行き,母に話しかけると私の呼びかけに答えてくれました.間に合ったという気持ちがありました.それから間もなく母は息を引き取りました.その後すぐにアメリカではコロナが流行し始めたことから,母が私を呼び寄せてくれたのだと考えています.親不孝の私はその後,日本で感染してしまいましたが…
それから,約1年が経過しました.大学を卒業するためには124単位取得することが求められます.私は4年生前期までに125単位を取っており,今期さらに13単位取得予定なので心配いりません.大学の4年間はたくさんの新しい経験をすることができました.それも私を支えてくれた智子先生とスタッフのおかげです.
54才になった今後のことですが,岡山大学大学院ヘルスシステム統合科学研究科博士前期課程に合格させてもらいましたのであと2年,勉強を続けます.
正直なところ,自分のような老い先短い人間が,国費を使って勉強させてもらうことはいかがなものかと思うところがあります.しかし,自分の精いっぱいの能力を発揮して学び続けることで,若い人にもそして同年代の人にもいい影響を与えることができると考えて頑張っていきます.
寿晃整骨院 総院長 木下広志