ケネディ大統領とダラスの町

 

 

ダラスというと50代以上の日本人は、

「あー、あのケネディ大統領が暗殺された町」

という記憶があるかと思います。

 

あのカラーによるテレビ放送は、

衛星放送で送られた動画の極初期の映像だそうで

そんな意味でも日本人の記憶に残るビデオです。

 

 

私が生まれた年は、1966年(昭和41年)で、

ケネディ大統領が暗殺されたのが、

1963年11月22日です。

 

 

私たちのクラスは、1学期に一度、

遠足のようにいろいろなところへ

連れて行ってくれるのですが、

今学期ではシックスフロアと呼ばれる

ケネディ大統領を暗殺したとされる

オズワルドが射撃した場所を

見学してきました。

 

今でも20世紀の大事件などを

特集したテレビ番組で取り上げられる

あの映像の記憶の場所が

私の目の前にありました。

 

ちょっと衝撃的でした。

そして狙撃したビルがシックスフロアと呼ばれる

ケネディ暗殺博物館になっていて

その当時のままの状況が保存されています。

 

 

そして様々な角度から暗殺について

検証されていて、

オズワルドの単独犯としては、

矛盾点が見られるといったようなことが

書かれていました。

 

 

私の英語力の限界でした。

 

 

英語の先生に、アメリカ人はオズワルドが

犯人だと考えているのかと聞いたら、

半々かなぁと言った返事が返ってきました。

 

暗殺された後に葬式となり、

ケネディの小さな息子が敬礼をして

ケネディの遺体を見送るのですが、

その息子も40代の頃、飛行機事故で

亡くなったと言ったことが

書かれていました。

 

 

娘のキャロラインさんは、

日本に大使として派遣されていました。

 

 

今回、ワシントンに行った際に

テキサスに住んでいるものとして、

ケネディ大統領のお墓を訪問

することを考えました。

 

 

彼はワシントンのアーリントン墓地に

眠っています。

 

 

私は自転車を借りて、

アーリントン墓地へ行ってきました。

無名の人達を含む戦争で亡くなった

軍人を葬るこの墓地には、

本当にたくさんのお墓がありました。

 

 

時期がクリスマスだったので

その一つ一つにクリスマスリースが

供えられていました。

 

 

ここアメリカでは、

軍人の人達が退役した人も含めて

国の英雄として非常に尊敬されています。

アメリカンフットボールや野球の

ゲーム開始前や様々な機会での

軍人の優先などをたくさん見てきました。

 

 

たまたま今回、ワシントで

日本人の自衛隊の人と会いました。

彼は休暇で来ていたそうですが、

アメリカの軍人の扱いは良いですね。

と話しかけたら日本の状況も最近良くなったと

言われていました。

 

 

7年ほど前はもっとひどかったそうです。

災害派遣やSNSでの情報拡散のおかげですか?

と質問したら、そうなんだけど、

災害派遣は本当に大変で、

できれば2度と行きたくないと言っていました。

 

 

インターネットの情報は、

いろんな所で影響を与えています。

私自身、グーグルマップ、ナビ、ホテル予約、

ミュージカル予約、イベント予約など、

英語がしゃべられなくても

十分に暮らしていけるようになっています。

私は良い時代に生まれたと感謝しています。

 

 

寿晃整骨院 総院長 木下広志